下野新聞 2024年5月7日の おくやみ欄で
「枝野幸男」 立憲民主党 前代表の追悼文を読み 「御子貝保子」先生の御逝去を知った
2024年2月22日に御逝去 90歳
「枝野幸男」氏の文面通り 御子貝先生は 宇都宮市立陽東中学校や 宇都宮市立旭中学校で 合唱の指導にあたり
NHK合唱コンクールで 何度も 日本一に導いた 経歴を持っている
御子貝先生は 「あの頃」から 日本一を目指して 指導していたに違いない
「あの頃」とは・・・
御子貝先生は 宇都宮市内の中学校に赴任する前 私の母校 上三川町立明治中学校に在職していて
宇都宮駅から石橋駅まで電車を利用し 石橋駅から明治中学校までは 自転車で通勤していた
カラフルな服装の音楽教師は ど田舎の ガキ大将から 「七面鳥」という 仇名を付けられていた
私が 中学2年生のときだったと思う
「私ね どうしても 混声合唱をやりたいの 隆ちゃん 合唱をやりましょう」と 先生から お誘いを受けた
同様に誘われた 男声を加え 既にあった女声合唱部と合体し 混声合唱部の基礎ができた
変声期時期の男声は 奇妙な部分もあったが 練習に明け暮れた
記憶が定かでないが NHKの合唱コンクールの課題曲だったと思われる合唱曲を 毎日練習した
タイトルは忘れたが
~~楢の林に 分け入って そっと耳を 澄ましてごらん 聞こえる 確かに聞こえるよ ほらほら ほらほら ほーら 微かな 微かな 音なんだ~~
という曲だった
野太い声や 突飛な声しか出ない男声だが 先生は 「良くなったわ この調子でね」と 褒めちぎってくれた
多分 宇都宮市の教育会館や栃木会館だったと思うが 発表会やコンクールに出るチャンスを作ってくださり 参加した
ステージに出る前に 先生は 必ず 三角形の喉の薬「ヴィックス」を 一粒くださった
先生が指揮する指先を見ながら 懸命に声を出して歌った
歌い終わった瞬間 指揮していた両手をおろすと 先生は ニッコリ笑顔を見せた
楽屋に戻ると 先生は 「良かったわよ!!」と 褒めちぎってくれた
そんな筈はない
訓練のない 野太い粗野な声が ハーモニーを奏でる筈がない 参加している自分たちにも判っていた
でも 先生は 褒めてくれた 嬉しかった
その後 「あの頃」の ど田舎の中学校から 宇都宮市内の中学校に赴任し 先生はチャンス到来と 本領を発揮し 日本一に何度も輝いた
合唱コンクールの時期になると なぜか 先生の活躍ぶりが気になり チェックしていた
御子貝先生とは 忘れられない 想い出が まだある
私が卒業する年に 宇都宮市に開校が決まっていた 音楽専門高校への 進学を薦めてくださったことがあった
「隆ちゃんは 音楽の才能があるから 声楽を勉強しなさい または いずれかの管楽器を学んだらいいと思うわ」
「希望するなら 受験に必要な準備は 私が指導するわよ」
全く選択の範疇になかったことで 驚きのあまり 軽く お断りしてしまった
卒業式当日 一連の行事が終え 木造校舎の繋目にある 昇降口を出ようとしたとき
御子貝先生は 担任の先生でもないのに 私の姿を見つけて 袴姿で走って来て
「隆ちゃん がんばるのよ! 高校へ行ってからも がんばるのよ!」と言って 私の手を 両手で包みこむように握ってくれた
卒業式のセンチメンタルな気分もあってか 涙が落ちた
御子貝先生! 俺 がんばってるよ!