侍塚古墳 隆さま墳活ツアー
「古墳にコーフン協会」栃木県支部長・亀和田聡さんの企画&コンダクターで 「日本一美しい古墳」の異名を持つ 大田原市湯津上の「侍塚古墳」などを訪ねた
「侍塚古墳」は 「徳川光圀」が発掘調査・埋め戻しして以来 330年ぶりに発掘調査されることが決定した
県は 「いにしえのとちぎ発見 どき土器 わく湧く プロジェクト」事業に着手し 5ヵ年計画で発掘する この事業は 県内はもとより 全国的に注目を集めている
そもそも 侍塚の古代ロマンの息吹とは・・・・
❶磐城の僧侶「円順」が 「那須国造碑」を 発見したことが発端で
❷「徳川光圀」と「那須国造碑」との出会いだと思う
まずは その「那須国造碑」について 「なす風土記の丘 湯津上資料館」で 学習した
(展示品はレプリカだが 実物の国宝「那須国造碑」は 次の笠石神社で見学する)
〈700年頃 「那須国造碑」が建立される〉
〈碑文の要約〉
永昌 元年 689年4月 持統天皇の治世において 那須国造を務めていた「韋提」は 「評督」という 地方組織の長官となり 700年に亡くなった 業績は子孫に引き継がれた・・・・
〈碑の制作〉
「永昌」という年号は 唐と新羅で使われていた年号で 「日本書紀」によると 新羅の人々が 687年 689年 690年に 下毛野国に移住していることから 朝鮮半島から渡来した知識人が制作に関係している また 使われている文字の中に 新羅の文字もある
〈1676年 磐城の僧侶「円順」が「那須国造碑」を発見する〉
「円順」は「高貴な人の石碑かも知れない」と 那須郡武茂郷の庄屋「大金重貞」に伝える
「重貞」は 古碑を調べて 「那須記」に記した
〈1683年「徳川光圀」が注目する〉
武茂郷を訪ねた「徳川光圀」に 「重貞」が「那須記」を献上すると 「光圀」は 「那須記」に記されている古碑について関心を持ち 古碑に記されている人物「韋提」に注目する
〈日本初の考古学的発掘調査〉
「光圀」は 古碑の人物「韋提」を解明するために 1687年 古碑の周囲を発掘調査するが 関わるものを発見できなかったので 1692年 近くの「上侍塚・下侍塚古墳」の発掘調査を実施するも 「韋提」に関する物は発見されなかった
出土した土器や装飾品などの遺物は 絵図に記録して 松の木の箱に入れて 埋め戻した
墳丘は 修復して 松の木を植え保護した 日本初の史跡整備だ
〈2021年 「徳川光圀」以来330年ぶりの「侍塚古墳」再発掘調査 5ヵ年計画決定!〉
「侍塚古墳」は 再び 歴史を語り始める
「なす風土記の丘 湯津上資料館」館長の上野修一先生(中央)が出迎えてくれた 亀和田聡さん(右側)とは ぞっこんの仲のようだ
様々な研究活動を続けている考古学者「上野修一」館長先生と 記念のツーショット
まずは「下侍塚古墳」へ
地元の人々が 松の木に「こも巻き」をして 松の木を守り 古墳を守っている
「前方後方墳」の後方部分の頂上で 亀和田さんに 解説をしていただいた
ここに眠る埋蔵品は 果たして・・・・
「徳川光圀」が創立した「那須国造碑」が御神体の「笠石神社」に移動した
宮司さんの案内で 本殿に祀られている 本物の 国宝「那須国造碑」に触れると ひんやりと冷たい感触で 露に濡れて 彫文字が霞んでいた
今年3月 徳川光圀の業績を讃え 「笠石神社」境内に 「那須国古代ロマンプロジェクト実行委員会」が 「日本考古学発祥の地」碑を建立した
文字は 水戸徳川家第15代当主 徳川斉正さんが 筆を執った
さぁ 昼ご飯だ! 大田原市「湯けむりふれあいの丘」にある「湯津上村民食堂」へ向かった
上野館長先生と亀和田さんと同じテーブルは 緊張する
もちろん オーダーしたのは 話題の「古墳カレー」
地元の「小砂焼」で作った「古墳皿」に ご飯が 「前方後方墳」の形によそられている
亀和田さんが持参した 埴輪のミニチュアを 並べた
ご飯古墳の周溝に カレールーを回し入れると 古墳カレーの出来上がり
スプーンは 「古墳を発掘してください」と言わんばかりに スコップ型だ
いやぁ! すごい演出だぁ! 思わず声を出して笑っちゃいました
食後は 上野修一館長先生が 最近 この地で発掘・発見した「東山道」跡を見学して 「上侍塚古墳」へ移動した
ここでは 「とちぎ未来づくり財団・埋蔵文化センター」の谷中隆さんに 案内していただいた
発掘調査が始まっていて 墳丘に付けた「葺石」が 発掘されていた
「徳川光圀」は 330年前 出土品の数々を 松の木の箱に詰めて埋め戻したそうだが 果たして 時空を超えて 何が発見されるのやら 興味津々である
上野修一先生や亀和田聡さんら 多くの方々にお世話になり 勉強させていただいた「隆さま 墳活ツアー」
久しぶりに学習に没頭して 知的刺激を受けた 一日だった
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改めて、上野先生のコメントを拝読致しました。
東山道の発掘調査には私もわくわくしております。
西行法師も通ったであろう東山道。
西行桜まつりも大盛況でしたね。
歴史香る大田原。
そしてロマンあふれる栃木県。
私も西行法師に負けず、一句詠みたくなりました。
投稿: 美沙子 | 2022年3月29日 (火) 21時49分
隆さま、お疲れ様でした。先日は那須の地まで御足労いただきまして、ありがとうございました。一緒に撮影までしていただき、恐縮です。当日は東山道駅路の発掘調査の図面(土層断面図)作成が終わらず、十分な案内ができず申し訳ございませんでした。この後はいよいよ駅路が箒川を渡河した地点を求めて、光丸山のある佐良土地区を調査する予定です。
光丸山自体も天狗の面で有名ですが、実は下野国出身の慈覚大師円仁が開基したと伝えられ、八溝の修験道ともゆかりの深い名刹で、西行法師が立ち寄ったとの伝説と老桜があります。昭和40年代までは、例大祭には人が街に溢れる状況だったようです。現在、我々は有志で不動様をお祀りする講中を立ち上げ、名刹復活のお手伝いをしようと考えております。こちらの方にも、お出掛けいただければ幸いです。
また、お会いできる日を楽しみにしています❗️。
投稿: 上野修一 | 2021年12月 5日 (日) 07時12分