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2017年10月15日 (日)

45年ぶりの都の西北

A

卒業後 45年ぶりに訪ねた 都の西北は 雨だった 

 

ホームカミングデー招待の案内があったので でかけた

 

テーマは WASEDA for ALL、 ALL for WASEDA ~今、青春の回想と新たな出発~

 

B

卒業後45年と50年の学友は 大隈記念講堂で開催される式典に 抽選で参加できるというので

 

申し込んだら当選し 二階席指定の案内が届いた

 

このチャンスを逃したら 二度と都の西北を訪ねることはないだろうと 

 

悔いばかりが残る青春時代を 葬るつもりで参加した

 

終活の一部かも知れない

 

C
キャンパスに 昔の名残は 微塵も残っていなかった

 

私の青春の姿を探してみたが どこにも 現れることはなかった

 

早稲田の森には 近代的なビルが林立していた

 

1

変わらぬものは チューダー・ゴシック様式の 大隈記念講堂と

 

2

創設者・大隈重信の像だけだった

 

3

式典会場の大隈記念講堂の天井には 楕円形の採光窓がある 太陽と月と星を表現している

 

式典が始まった・・・・ 

 

4

応援団のリードで 参加者全員 右手の拳を振りながら 校歌を歌った

 

「都の西北 早稲田の森に 聳ゆる甍は われらが母校・・・・」

 

私は 拳も作らず 小声で歌った 

 

何故か 涙が溢れた

 

リードした応援団の代表は 「早稲田の校歌は 第二の国歌」 と言って 笑いを誘った 

 

5
大隈会館に入ったら 大きい熊 WASEDA BEAR がいた 校友の弘兼憲史さんデザインのようだが

 

大隈重信の大隈 つまり大熊ってか?

 

 

6

大隈タワーという 16階建てのビルもあった 

 

最上階の展望サロンから キャンパスのメインの通りが見える・・・・

 

 

 

私が学生だった頃のキャンパスは 学生運動が盛んで 

 

ヘルメットをかぶった活動学生が マイクで声を枯らして演説をしていた

 

校舎はバリケードで封鎖され 授業はできず レポート提出ばかりだった

 

ノンポリの私は 冷ややかに横目にするだけで キャンパスと疎遠になった日々が続いた・・・・

 

もちろん あの喧騒は全くない 平和なキャンパスだ

 

 

 

5年後 卒業50年のホームカミングデーに 最後の招待をしてくれるそうだが・・・・

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