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来月11月に開局する 小山市のコミュニティーFM局 愛称「おーラジ」を訪ねた
JR小山駅西口 「ロブレビル」4階にスタジオがある コンセプトは 「もっと好きになる」
小山市に特化した地域情報の発信により 元気で安全・安心な街づくりに貢献していく放送メディア
周波数は77.5MHz
開局を控え パーソナリティーの皆さんが講習を受けていて 私も臨時講師として お話をさせていただいた
放送局誕生に携わる第1期生という 誇りを持って マイクの前に立って欲しい
記念写真を撮った
左から 運営会社「テレビ小山放送」の 加藤・放送部次長 宇和嶋・取締役事業本部長
右端が 小山市役所総務部 IT推進課の 鈴木課長
パーソナリティーの皆さぁ~ん!! 開局したら聴くからねぇ・・!! ガンバってよぉ~!!
成田空港の手前 成田山に近い 成田国際文化会館で 成田屋!市川海老蔵・古典への誘いを観た
両演目とも 女好きの色男役 艶っぽい眼力と 柔らかな発声に 魅せられた
一階席 前から3列の真ん中の座席は 贅沢すぎるほどだった
終演後 定式幕があるうちに 記念写真を 会館の係員に撮ってもらった
会館に向かう前 午前中 成田山新勝寺の不動明王を お詣りした
歌舞伎の名門の成田屋・市川宗家と成田山は 不動信仰による深い縁で結ばれていることもあるが
久しぶりの成田山に 今日は お礼を告げたかったこともある
総門の前で 外国のお客様に 写真撮影をお願いした
その奥に広がる境内の 大本堂の不動明王に お礼を告げた
・・・・
子ども達が 海外の学校で学んでいたり 海外の企業に勤務していた時
帰国する度に 成田空港まで車で迎えに行った
空港へ行く前に 必ず成田山をお詣りした
出国する度にも 成田空港まで車で送って行った
搭乗した飛行機が飛び立つのを見送った後 必ず成田山をお詣りして帰宅した
息子と娘の海外生活が 無事であることを 成田山の不動明王に お願いしていたのだ
・・・・
今日の久しぶりの成田山詣では おかげさまで・・・・の御礼の参詣となった
成田山に縁の深い市川海老蔵の歌舞伎を観て その上 お不動さまに お礼ができて
風雨の強い天候とは裏腹に 心が晴れやかになった
ありがたい一日だった・・・・
ホームカミングデー招待の案内があったので でかけた
テーマは WASEDA for ALL、 ALL for WASEDA ~今、青春の回想と新たな出発~
卒業後45年と50年の学友は 大隈記念講堂で開催される式典に 抽選で参加できるというので
申し込んだら当選し 二階席指定の案内が届いた
このチャンスを逃したら 二度と都の西北を訪ねることはないだろうと
悔いばかりが残る青春時代を 葬るつもりで参加した
終活の一部かも知れない
私の青春の姿を探してみたが どこにも 現れることはなかった
早稲田の森には 近代的なビルが林立していた
式典会場の大隈記念講堂の天井には 楕円形の採光窓がある 太陽と月と星を表現している
式典が始まった・・・・
応援団のリードで 参加者全員 右手の拳を振りながら 校歌を歌った
「都の西北 早稲田の森に 聳ゆる甍は われらが母校・・・・」
私は 拳も作らず 小声で歌った
何故か 涙が溢れた
リードした応援団の代表は 「早稲田の校歌は 第二の国歌」 と言って 笑いを誘った
大隈会館に入ったら 大きい熊 WASEDA BEAR がいた 校友の弘兼憲史さんデザインのようだが
大隈重信の大隈 つまり大熊ってか?
最上階の展望サロンから キャンパスのメインの通りが見える・・・・
私が学生だった頃のキャンパスは 学生運動が盛んで
ヘルメットをかぶった活動学生が マイクで声を枯らして演説をしていた
校舎はバリケードで封鎖され 授業はできず レポート提出ばかりだった
ノンポリの私は 冷ややかに横目にするだけで キャンパスと疎遠になった日々が続いた・・・・
もちろん あの喧騒は全くない 平和なキャンパスだ
5年後 卒業50年のホームカミングデーに 最後の招待をしてくれるそうだが・・・・